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​歴代所長代表からのメッセージ

京都大学化学研究所 第28代所長

玉尾 皓平

化研に息づく「進取の精神」を次の100年に引き継ごう

 京都大学化学研究所(化研)は2026年10月4日に創立100周年を迎える。

 誠にめでたく、化研でお世話になった立場からは、まずもって、関係者とこの慶事を共有するとともに、100年前に化研を創設された先達およびその後の化研の発展にご尽力、ご貢献された先輩諸氏に深甚の敬意と謝意を捧げたい。

 筆者は、お世話になったといえ、その長い歴史のほんの1割程度の、わずか12年間(1993年~2005年)であったが、多くの出会いと出来事の詰まった、そして所長も務めさせていただくという、我が人生で最も密度の濃い、京都大学44年間の最後を締めくくるにふさわしい12年間であった。ここでは、まず研究以外の活動、思い出のいくつかを記しておきたい。

 赴任当時の所長(以下、敬称略)は、小田順一、宮本武明、新庄輝也、杉浦幸雄と続く時代で、来るべき21世紀に向けて、化研の再活性化に取り組んでおられる活気に満ちた時期だった。宮本所長がリードされた旧工場群の改廃による共同研究棟建設の一大事業には筆者も委員として携わり、大セミナー室の天井高の確保で、そこだけ天井を高くできないという本部施設部と大激論の末、床を掘り下げ大セミナー室前の廊下に段差を付けることで決着した(1999年竣工)。あの段差のある廊下の顛末は、今でも、大セミナー室に行くたびに、間接経費による大セミナー室前のライトコートへのガラス屋根の設置やグランドピアノ購入などと共に懐かしく思い出される。その他にも、図書室夜間閲覧開始(1994年)、A4判対応郵便ポストの設置(1999年頃)、文科省中核的研究拠点(COE)形成プログラム「元素科学研究拠点」(2000~2004年)の拠点リーダーと「元素科学国際研究センター」の設置(2003年4月1日)、「バイオインフォマティクスセンター」の設置(2001年)、広報室の開設(2002年6月)、生協食堂改修・夜8時までの営業延長(2003年)などにも取り組んだ。事務局のサポート無くしては実現できなかったものばかりで、この機会に改めて感謝、御礼申し上げたい。

 

――京大化研創設に至る10年間と「喜多イズム」――

 100周年を機に、化研の原点「京都帝国大学理科大学附属化学特別研究所」とそこにみられる「進取の精神」にフォーカスしてみたい。化研の100周年記念サイトには、「化学研究所の原点は1915年に京都帝国大学理科大学に設置された化学特別研究所にさかのぼります。」とあり、文部科学省の資料「大学・研究機関等の設置と拡充」*1)にも「京都帝国大学の化学研究所はサルバルサン類の研究および製造を行うため大正四年(1915年)設けてあった理科大学附属化学特別研究所を移管して、化学に関する特殊事項を研究するため(勅令により1926年10月4日に)設置したものである」と明記されている(カッコ内は筆者付記)。

 すなわち、化学特別研究所の存在無くして化研創設もなかったと言っても過言ではなく、諸々の資料から化研創設までの10年余の状況は以下のようにまとめられよう*2)

 【1915年に始めた化学特別研究所での久原躬弦(くはらみつる)の指導によるサルバルサン等の研究は順調に進み、久原の長逝(1919年、享年65歳)後も、サヴィオールなどの製品として販売収入を得るまでに進展したことを基に、「理学部附属化学特別研究所拡張費」を要求(1925年)、想定を超える予算が付いたことから、当初の拡張案を超えて、かねてより理・工・医・農学部の化学系で要望・計画のあった「化学研究所」設置に切り替え、『化学研究所官制制定説明書』を文部省に提出して認められ、「化学ニ関スル特殊事項ノ学理及応用ノ研究ヲ掌ル」化学研究所が1926年10月4日に京都帝国大学に附置された】

 この予算要求書や『化学研究所官制制定説明書』*2b)の作成に喜多源逸(1916年京大助教授、1922年~京大教授・理研主任研究員兼任、1930年~1942年、京大化研所長)が主導的役割を果たしたであろうことは想像に難くない。喜多については古川安氏の著作*3)などに詳しいので、ここでは、京大の「自由の学風」に「理研精神・大河内精神」を「喜多イズム」として植え付けたことだけを強調しておきたい。「大河内精神」とは、「基礎研究の重視」と「産業界との積極的連携」の両立としばしば表現されるが、「科学者の精神の開放」*3a)との表現の方がぴったりくる。分野を超え、組織を超え、国を超えて自由に研究する精神を研究者に植え付けたのである。京大化研にもこの精神が脈々と受け継がれているのである。

 

――京大の「進取の精神」――

 さて、話題を1925年の『化学研究所官制制定説明書』*2b)に戻そう。読み返すにつけ、そこに秘められた、京大の「進取の精神」に圧倒されるのである。要点を抜粋しておこう。本稿に関連して、筆者が特に注目したい個所にアンダーラインを付した。

 「化学の研究は諸科学の根幹を成し、其の深度は諸科学進歩の尺度を為す。」

 「従来化学として取り扱われ来たれる分類の外に化学の終極と物理の終極に跨がる所謂中間化学とも称すべき注目すべき重要なる範囲あり。又有機化学と無機化学との中間に在りて重要なる部分あり。」

 「京都帝国大学に於いては大正四年(1915年)以来此の方面の研究に着眼し、その第一着手としてサヴィオール有機砒素化合体の研究、有機金属化学の研究医療の研究、発火剤の研究をなし来れるを以て、之等の既設の設備を利用して化学研究機関を設置することは財政上の利便あるのみならず、且多数専門学者の合同研究に便なるとに依り、曩に之が拡張計画を樹て、既に予算の通過を見、茲に京都帝国大学に之を附置せんとす。」

 格調高い文章に感銘を受けるとともに、筆者が特に驚いたのは、110年も前に京都大学で「有機化学と無機化学の中間領域」「有機金属化学の研究」が行われていたとの記録である。世界的にも「有機金属化学」の黎明期は1960年頃とされ*4)、我が国で初めて「有機金属化学講座(熊田誠教授主宰)(筆者の出身研究室)」なるものが京都大学工学部合成化学科に設置されたのも1960年であり、その頃から「有機金属化学」が広く認知、研究されるようになったのである。それより半世紀近くも前に、京都大学では「有機金属化学の研究」が行われていたことは正に驚きであり、そしてそこに息づく「進取の精神」をこの機会にしっかりと再認識、記憶しておきたい。

――100年以上前に京都帝国大学で行われていた「有機金属化学」とは?――

 1915年頃から京都帝国大学の理科大学附属化学特別研究所で行われていた「有機金属化学の研究」とは一体、何であったのか? 関連資料を紐解くと、化学特別研究所で久原の下で助教授を務めていた松宮馨らの研究に行きつく*5)。『化学研究所学術報告 第1号』昭和4年(1929年)発行の抄録*5b)に、松宮らの1920年から1926年までの6編の発表論文の抄録が記録されている。「有機金属化学の研究」は、何と「グリニヤール試薬」や有機水銀化合物を使った有機砒素および有機アンチモン誘導体の合成に関するものであった。

 たとえば、「砒素の有機化合物に就いて(第一報)グリニヤール試薬と三塩化砒素の反応」の研究では、フェニルおよびα-ナフチルグリニヤール試薬と三塩化砒素との反応による有機砒素化合物の合成や生成物の反応性などに関する実験結果が、1ページ弱のスペースに簡潔かつ正確に記載されている。

 ここで特記したいのは、「グリニヤール試薬」が発見、論文発表されたのが1900年のことであり、そのわずか10数年後には京大でかくも普通の反応剤として利用されていた、という事実である。「サイエンスに国境はない(ルイ・パスツール)」との言葉どおり、フランスで発見された反応の情報がすぐさま我が国に到達し、京大では自由に使いこなしていた。新しい有機金属反応剤「グリニヤール試薬」のすごさに、いわば狂喜しつつ物質合成に取り組んでいた若き研究者たちの姿が目に浮かぶようである。ここに、京大の「進取の精神」を見る思いがし、現役時代に「グリニヤール試薬」を多用した経験をもつ筆者の胸も高鳴るのである。

――次の100年に向けて――

 この「進取の精神」が化研の設立理念「化学に関する特殊事項の学理および応用の研究」の根幹に刷り込まれ、「喜多イズム(自由の学風+理研精神)」と共に変わることなく息づき、化研の発展の源であることを、「化研創立100周年」を機に、再認識、共有し、次の世代に、次の100年にしっかりと引き継がれることを願いたい。 

【謝辞】本稿を草するにあたり、文献 2), 5) にあげた情報をはじめ、多くの古い貴重な資料をご提供いただいた化研広報企画室の
    武田麻友氏に深謝、御礼申し上げたい。

              (2025年6月23日@東京)


 


文献等
1)文部科学省「大学・研究機関等の設置と拡充」https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317726.htm
2)a) 鎌谷親善「京都帝国大学附属化学研究所—創立期—」、化学史研究, Vol. 21, pp1~37 (1994). 
    https://kagakushi.org/wp-content/uploads/2023/04/Kagakushi_066_1994.pdf
    b) 京都大学百年史、第15章「化学研究所」(1997). 
    https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/152967/1/dept2_chap15.pdf
3)a)宮田親平『「科学者の楽園」を作った男:大河内正敏と理化学研究所』、日経ビジネス人文庫、2001年.
    b)古川安『化学者たちの京都学派:喜多源逸と日本の化学』、京都大学学術出版会、2017年.
    c)玉尾皓平「東の理化学研究所から西の京大を思う」、京大広報(寸言)、2013.6 No. 690.
4)萩原信衛「有機金属化学の黎明期」、有機合成化学協会誌, Vol. 53, No. 7, 645-649 (1995).
5)a)『京都帝国大学史』(昭和18年), 第二編 学部及研究所, 化学研究所、第三節学術, pp1218 ~1219.
    b)『化学研究所要覧』(昭和2年)「松宮研究室:有機金属化合物ニ関スル研究:所員 理学士 松宮馨」
    c)松宮馨の研究資料:『化学研究所学術報告 第1号』(昭和4年)抄録17-22
    https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/74474

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